対訳 フロスト詩集――アメリカ詩人選(4) (岩波文庫)オンラインブックダウンロード

対訳 フロスト詩集――アメリカ詩人選(4) (岩波文庫)

ロバート・フロスト / 本

対訳 フロスト詩集――アメリカ詩人選(4) (岩波文庫)オンラインブックダウンロード - ロバート・フロストによる対訳 フロスト詩集――アメリカ詩人選(4) (岩波文庫)は岩波書店 (2018/8/18)によって公開されました。 これには256ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、5人の読者から4.9の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。

対訳 フロスト詩集――アメリカ詩人選(4) (岩波文庫) の詳細

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タイトル : 対訳 フロスト詩集――アメリカ詩人選(4) (岩波文庫)
作者 : ロバート・フロスト
ISBN-104003234316
発売日2018/8/18
カテゴリー本
ファイルサイズ23.44 (現在のサーバー速度は23 Mbpsです
対訳 フロスト詩集――アメリカ詩人選(4) (岩波文庫)オンラインブックダウンロード - 内容紹介 「黄色に染まった森のなかで、道が二手に分かれていた」 日常の言葉でニューイングランドの農村や自然、人生を語り、20世紀アメリカの「国民詩人」として愛されるロバート・フロスト(1874―1963)。素朴で大らかな描写の下に、不気味な暗さをたたえるその詩から、36篇を精選。多様な「意味の音」を伝える原文とともに味わう。 内容(「BOOK」データベースより) 「黄色に染まった森のなかで、道が二手に分かれていた」日常の言葉でニューイングランドの農村や自然、人生を語り、20世紀アメリカの「国民詩人」として愛されるロバート・フロスト(1874‐1963)。素朴で大らかな描写の下に、不気味な暗さをたたえるその詩から、36篇を精選。多様な「意味の音」を伝える原文とともに味わう。
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対訳 フロスト詩集――アメリカ詩人選(4) (岩波文庫)を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
アメリカにおいて文学は、そのピューリタン的精神風土ゆえに、1776年の独立以前は、俗なる娯楽として退けられる傾向にあり、その発展はじゅうぶんなものではありませんでした。というか文学らしい文学はほとんど生まれませんでした。独立後ようやくチャールズ・ブロックデン・ブラウンやフェニモア・クーパーの小説があらわれて、その後のアメリカ文学の方向をある意味決定します(ピューリタン的原罪意識と結びついたゴシック的な闇への志向、他方に自然と文明との対立)。それはホーソーン、ポー、メルヴィル、トウェインへとつづいてゆきます。しかし詩のほうは…アメリカ19世紀の詩人で日本でよく知られている詩人は数少なく、たしかにロングフェロー、ホイットマン、ディキンソン、そしてまあポーなどがいますが、現在ではロングフェローは評価されること少なく、ホイットマンはいまもアメリカで人気はあっても、日本でよく読まれている詩人とはとうていいえません。ディキンソンは死後評価が高まっていった詩人で日本でも評者などがそうであるように愛読者が少なからずいますが、ポーのほうはもとより大詩人とはいいがたいものがあります(なお岩波文庫のこの「アメリカ詩人選」ではポー、ホイットマン、ディキンソンの対訳詩集がすでに出ています)。アメリカの19世紀後半から20世紀前半くらいにかけての時代を舞台にした映画などではむしろイギリスのブラウニングの詩がしばしば登場人物たちによって朗唱される場面があります。当時たぶん詩といえばアメリカ人たちにとってはなんといってもやはりイギリスの詩だったのでしょうね(イーディス・ウォートンの小説『無垢の時代』(1920年)は、作者みずからもそのなかで育ったアメリカ1870年代ニューヨーク上流社会を舞台にした小説ですが、主人公はじめ知的教養もある上流階級の登場人物たちが話題にし読んでいる詩は、やはりブラウニングでありテニソンです)。もとより詩は、小説とちがって、ある意味詩だとわかるようなことばの形とか型が重要性をもつので、自分たちの使うことばが、たんにイギリスの詩をまねるのではなく、あるいは同じ英語であっても、自分たち固有の詩のことばとして、素材や主題もふくめて洗練され精錬されていくには長い言語的熟成の時間と文学的伝統の形成が必要だったのでしょうね。前置きが長くなりました。ロバート・フロスト(1874-1963)は20世紀アメリカのもっともよく知られた詩人であり、アメリカ人たちに愛唱されている詩人でもあります。上で述べたアメリカ文学に伏流するテーマ「自然と文明との対立」でいうと、クーパー作『開拓者たち』(1823年)のニューイングランドの森にひとり住む自由人ナッティ・バンポー、あるいはニューイングランドで『森の生活』(1854年)を実践したソローと同じように、ニューイングランドの詩人としてのフロストは、自然にまなざしを向け、自然に学び、自然のほうへより深く身を傾けていたという点で、もとよりアメリカ人の心性においてとくに好まれる理由があると考えられます。(ただ、アメリカ人にとっての自然は日本人の自然とちがってあくまで処女地あるいは開拓地としての「森」や「荒野」が原型的イメジとしてあるので、自然といっても日本人にはわかりにくいところがあるかもしれません)。ともあれ日本ではこれまでじゅうぶんに紹介がなされてはこず、翻訳もほとんどなく(いまもときおり古本で見かける新潮社「世界詩人全集」の、ディキンソン、サンドバーグといっしょになった一巻で少しまとまった翻訳があった程度でしょうか)、ここにようやく川本訳で清新な対訳詩集が出たことを慶賀したいと思います。これをきっかけに、同じ訳者でフロストの本格的な訳詩集の出版を願うばかりです。もちろん本書と同じく、この訳者らしい詳細な註釈と解説つきで。なお、昔、ビデオかテレビで観たドン・シーゲル監督、チャールズ・ブロンソン主演のサスペンス映画『テレフォン』(1977年)に、本書にも収められているフロストの有名な詩「雪の夜、森のそばに足を止めて」が重要な役割を果たしていました。そのことがいまふと思い出されたりします。「雪の夜、森のそばに足を止めて」の最後の四行は以下のようになっています:森はまことに美しく、深く暗い。だがわたしにはまだ、果たすべき約束があり、眠る前に、何マイルもの道のりがある。眠る前に、何マイルもの道のりがある。その無言の声で誘いこみ、眠るような甘美な死へと手招きする、雪降りつむ「美しく深く暗い」森を前に、なおしかし生へと引き返さねばならぬという強い思いをみずからに鼓舞する詩人がここにいるように思えます。まあでも甘美な死というより、もしかするとこの森も、アメリカ人が心性として強いあこがれをもち、ナッティのようにふとそこに誰にも知られずひとり旅立ちたいという思いに駆られる「荒野」、文明的束縛(約束事やしがらみ)から解放された自由の土地としての「森」と考えたほうがいいのかもしれません。けれどその思いを断ち、人間の住む文明の土地つまり自分の日常の生活がある村へと引き返し、「約束」なるものはやはり果たさなければならない、森は森でも安息の森にとこしえに眠ることになるまでは…ということなのでしょうか。もとよりしかし、「美しく深く暗い森」にどれほど魅せられ惹きよせられようと、この森はすでに人の森でもあったがゆえ(詩の第一行は「この森の持主が誰なのか、おおかた見当はついている」)、森への旅立ちの思いから引き返すことができたのかもしれません…他の一篇「樺の木」でも詩人は、樺の木を、天(国)heavenにむかっててっぺんの枝まで登っていくよろこびと同時に、登ったうえでその木をゆさぶり、しならせ、たわませ、反動を利用して地上に立ちもどってくるよろこびも語っていましたね。「地上Earthこそは愛にふさわしいところ」ということで。自然なしには生きられない、自然には自由とやすらぎが見いだされ自然からは大いなる活力が得られる、しかしそれでもやはり日常に返り、生きることがたいせつだ、ということなのでしょうか…

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